コンセプト

第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで⽣きてる」

リウ・ディン(劉鼎)、キャロル・インホワ・ルー(盧迎華)

第8回横浜トリエンナーレのテーマを「野草」にしようと考えたのは2021年の終わりでした。ちょうど世界が新型コロナウイルスのパンデミックから脱け出し、再び動き出し、つながり始めたころのことです。世界が回復に向かい始めたこの時期に、第8回横浜トリエンナーレの準備は、数多ある国際展のなかで新機軸を打ち出すという志とともに始まりました。この野⼼的かつ勇気ある取り組みは、わたしたちにとって希望の光となりました。なぜなら、その光は、パンデミック、気候変動、ナショナリズムや権威主義への傾倒、ロシアによるウクライナ侵略、陰謀論の流布などがもたらした荒廃、絶望、そして、深い危機感を背景に放たれていたからです。そこで、わたしたちは個々⼈の⼈間性、それぞれの勇気、再⽣⼒、信念、そして連帯をあらわすテーマを考えるに⾄りました。

「野草:いま、ここで⽣きてる」というテーマは、中国の⼩説家である魯迅(1881〜1936年)が中国史の激動期にあたる1924年から1926年にかけて執筆した詩集『野草』(1927年刊⾏)に由来します。この詩集には、彼が中国で直⾯した個⼈と社会の現実が描かれています。魯迅が当時直⾯していた窮状と敗北感は、1911年に起きた⾟亥⾰命の経験にさかのぼります。⾟亥⾰命により、古い秩序を象徴する清朝は倒れ、代わりに新しい秩序が⽣まれました。それにもかかわらず、中国社会が根本的に変わることはありませんでした。この経験から、彼は希望ではなく、絶望を⾃分の⼈⽣と仕事、そして思考の出発点とすることとし、希望も野⼼もない、ただの闇、闇のみの世界を完全に受け⼊れるようになったのです。同時に、この完全なる暗闇のなかから出⼝を⾒つけることにも専念するようになります。魯迅は、20世紀中国の状況に絶えず反発する、極めて孤独な個⼈でしたが、世界の動きに⽬を配り、個⼈の運命と⼈間性について深く考える思想家でもありました。

「野草:いま、ここで⽣きてる」というテーマは、魯迅の世界観と⼈⽣に対する哲学に共感するものです。「野草」は荒野で⽬⽴たず、孤独で、頼るものが何もない、もろくて無防備な存在を思い起こさせるだけではありません。無秩序で抑えがたい、反抗的で⾃⼰中⼼的、いつでもひとりで闘う覚悟のある⽣命⼒をも象徴しています。さらにその命が最終的に到達する究極の状態はこの世に存在しません。あらゆる存在は、それ⾃体が別の存在をつなぐものであり、ある過程を⽰しているからです。したがって、勝利や失敗は関係なく、その存在は永遠に動き続ける状態に置かれています。どの存在も潜在的なメッセンジャーとして相互にはたらきかけ、仲介する関係にあります。ところで、この哲学的命題は抽象的な概念ではありません。むしろ、経験によって⽀えられた世界のなかに明らかに存在し、経験そのものを⽰しています。「野草」の⼈⽣哲学とは、個⼈の⽣命の抑えがたい⼒が、あらゆるシステム、規則、規制、⽀配や権⼒を超えて、尊厳ある存在へと⾼められます。それはまた、⾃由で主体的な意思をもった表現のモデルでもあるのです。

2019年に始まった新型コロナウイルスの急速な世界的広がりは、グローバル化がもたらした両⽴不能な⽭盾を考えるきっかけとなりました。パンデミックは、公衆衛⽣だけではなく、ほかの危機の表⾯化を促し、加速化させ、新たなものまで誘発しました。パンデミックの状況下では、地政学的、経済的、社会的な難題がからみ合い、20世紀の政治や社会の構造や仕組みに根ざした、古い⾔語と新しい歴史的条件の間に⽭盾があることを浮き彫りにしました。現代の世界秩序は、社会主義制度が衰退し、冷戦の終結を経て形成されたものです。今⽇、さまざまな政治体制が実際に直⾯している喫緊な課題は、それぞれの政治体制と社会形態との間に⽣じている断絶です。不公平な分配システムと寡頭制の経済的独占によって、社会の階級∕階層の絶え間ない分裂と固定化が進み、もはや個⼈は政治的なレベルで⾃分たちをあらわす表現を⾒つけることはできなくなっています。わたしたちは、この苦境から抜け出したいと願いながらも、既存の社会の論理と抑圧に囚われたままになっているのです。これらの経験は、⼈間がもろい存在であることを明らかにしただけではありません。20世紀の政治や社会の制度設計に限界があることを露呈させたのです。

政治的覇権主義、イデオロギー競争の激化、⽂明の衝突が混在する現代の世界は、その健全性がむしばまれ、破壊されつつあります。また、個⼈の存在が尊重される空間は、⼤きく損なわれ、妥協を強いられています。ゆえに、平等と⺠主主義のための闘いは、未だに有効であり、むしろ、緊急性が⾼まっているともいえるでしょう。したがって、成功者や権⼒者の歴史ではなく、歴史の深みのなかで、あるいは、現代社会のなかで、個⼈の存在意義をいま⼀度肯定することが倫理の原則となるでしょう。ふつうの⼈々と彼らの⽣活について知ることは、絶えず変化し複雑化する課題に対して、盤⽯な対策の提⽰を可能にします。ここでいう「個⼈」は、社会的事件に直⾯したとき当然のように道徳的責任から免除されるような、抽象的な概念であってはなりません。わたしたちは、ささやかに想像してみるのです。わたしたち誰しもが、個⼈を苦しめるシステムを密やかに解体しうる、社会の裂け⽬に⽣きるアウトサイダーであったらと。

第8回横浜トリエンナーレでは、20世紀初頭にさかのぼり、いくつかの歴史的な瞬間、できごと、⼈物、思想の動向などに注⽬したいと考えています。たとえば、1930年代初頭に共鳴し合った⽇本と中国の⽊版画運動、戦後、東アジア地域が⽂化的な復興を遂げるなかで⽣まれた作家たちの想像⼒、1960年代後半に広がった政治運動とそれを経て⾏われた近代への省察、1980年代に本格化したポストモダニズムにあらわれる批評精神と⾃由を希求するエネルギーなど。そのうえで、歴史の終焉が提唱された後に⽣まれたアナーキズムの実践や思想を糧に、個⼈と既存のルールや制度との対話の可能性を探ります。

本トリエンナーレでは、アートとその知的な世界に⽬を向け、アートがいまのわたしたちに積極的にかかわる⽅法を⾒出します。そして、アートの名のもとに、友情でつながる世界を想像します。そこでは、個⼈が国などの枠組みを越えてつながる⾏為(individualinternationalism)と個⼈が⽣きるなかで発する弱い信号とが結びつくような、そんな未来が開かれると信じています。

第8回横浜トリエンナーレアーティスティック・ディレクター
リウ・ディン(劉⿍)/キャロル・インホワ・ルー(盧迎華)

プロフィール

リウ・ディン(劉鼎)

アーティスト、キュレーター。1976年、江蘇省常州市生まれ、北京を拠点に活動。中国の近現代史における文化、芸術、政治の影響関係に関するリサーチをもとに、テキストや写真、インスタレーション、絵画、パフォーマンスなど様々なメディアによる作品制作のほか、執筆活動や、展覧会企画を行う。主な個展に「Reef: A prequel」(ボンネファンテン、マーストリヒト、2015年)。主な国際展出品に、釜山ビエンナーレ(2018年)、イスタンブール・ビエンナーレ(2015年)、ヴェネチア・ビエンナーレ中国館(2009年)。主なグループ展に「Discordant Harmony」(アート・ソンジェ・センター、ソウル、他巡回、2015-16年)。またテート(ロンドン)のオンライン・フェスティヴァル「BMW Performance Room 2015」などに参加。

キャロル・インホワ・ルー(盧迎華)

美術史家、キュレーター。北京インサイドアウト美術館ディレクター。1977年、広東省潮州市生まれ、北京を拠点に活動。北京インサイドアウト美術館での主な展覧会企画に「Wang Youshen: Codes of Culture」(2022年)。2012-15年、OCAT(深圳)アーティスティック・ディレクター兼チーフ・キュレーター。光州ビエンナーレ(2012年)コ・アーティスティック・ディレクター。『Frieze』への寄稿のほか、審査員として「Tokyo Contemporary Art Award」(2019-22年)、「Hugo Boss Asia」(2019年)、「ヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞」(2011年)などを歴任。2013年、テート・リサーチ・センターのアジア太平洋フェローシップ・プログラム客員研究員。

企画の特徴

2019年の終わりから、わたしたちの生、精神、身体、そして暮らしはずっと困難と試練にさらされてきました。コロナ禍は終息しつつあるものの、われわれはみな、これまで以上にはっきりと窮地に追いやられています。こうした状況の中、創造的な実践者として、わたしたちは、今ここで経験していることを芸術的な手段で表現する必要性を感じています。
今回の横浜トリエンナーレでは、小説家、魯迅が著した詩集『野草』(1927年刊行)を今日的な形で取り上げたいと考え、アーティスト、思想家、研究者や社会活動家と一緒に展覧会の準備を進めることにしました。アーティストと仕事をするにあたっては、中国と日本の美術史に関する知識と、世界の現代美術に関する知見を共に駆使しました。こうして、それぞれの地域の現実と歴史に深く関わることで力強い表現を生み出すアーティストたちを選び出し、彼らとの協働作業を進めることになりました。既存の作品はもちろんのこと、何人かのアーティストには、わたしたちのテーマに共鳴しつつ独自の視点を取り入れた新作の制作を依頼しています。これらの作品が、今日の複雑な世界の現実を映し出す鏡となることを願っています。

第8回横浜トリエンナーレ「野草:いま、ここで生きてる」は、3つの主会場のほか、まちなかの会場でも展開します。
主会場の一つである横浜美術館の展示は、キャンプ場を拡張したような景色が広がる第1章「いま、ここで生きてる(Our Lives)」から始まります。この章では、普段は見えにくい、しかしわたしたちの暮らしに深くかかわる非日常――避難、亡命、放浪、抗議、戦争、そして災害の後やしあわせな再会など――を、視覚的な序章として示します。
ここに立ち現れるのは、世界の多くの人びとの実際の暮らしであり、すべてわたしたちの生活とパラレルに存在する社会的な光景です。これらの光景は、誰もがいつでもその状況に置かれる可能性があること、つまり、非常事態や不確かな生こそが常態であって、決して異例ではないことを、わたしたちに教えています。
これはある意味、哲学的な仮説を示すことなのかもしれません。しかし、これこそがわたしたちの生活に通底する現実にほかならないことを認識すべきでしょう。この章は展覧会全体の基調を定めています。ここでわたしたちは、危機に瀕した世界を直視し、絶望に向き合う個々人の回復力と主体性に目を留めることで、数々の課題と、無秩序に横溢する生命の力とが絡み合う光景を作り出すことになるでしょう。

またこの章では、横浜美術館の建物の中心を占めるグランドギャラリーの真ん中に、『日々を生きるための手引集(Directory of Life)』を読むことのできるテーブルを設置します。わたしたちが編んだこの『手引集』には、2000年以降、アーティストや思想家、社会活動家たちがそれぞれの時代、歴史、生活について考えたテキストが収められています。ここで著者たちは、日常に潜む政治的、知的、文化的活力の存在を明らかにしています。紹介される実践やアイデアは、一定の歴史的条件下で生きるわたしたちにユートピアを想像する余地を与えてくれます。また、暮らしの中の些細なことから、今の状況全体を変えうる関係性や非関係性、またコミュニケーションの可能性や不可能性を見出す術を教えてくれます。わたしたちは、これらの言葉が来場者の心に行動を呼びかけ、希望の種を蒔くことを望んでいます。

こうして、わたしたちの暮らしの現状を描き出す「いま、ここで生きてる(Our Lives)」の章に始まる展示は、「わたしの解放(My Liberation)」と「すべての河(All the Rivers)」の章へと進みます。これらの章では、制約の多い制度の中で個人の領域を最大限に広げようとする主体的な想像力、働きかけ、行動に注目します。残る3つの章「流れと岩(Streams and Rocks)」、「鏡との対話(Dialogue with the Mirror)」、「密林の火(Fires in the Woods)」では、若さや自己の目覚め、生の亀裂などによって立ち現れる生命の力に注目し、引き続き個人の領域の拡張について考えます。最後となる「苦悶の象徴(Symbol of Depression)の章は、「いま、ここで生きてる(Our Lives)」に呼応する形で、近代に対する深い批評をあらわします。


展覧会全体を通してわたしたちは、芸術と現実世界の関係や、アートの実践者が息長く、批判的に暮らしや社会に関わることの重要性について問い続けます。これは、資本と産業の論理が芸術の世界を覆い尽くし、その知的能力や批評的主体性を危機に陥れていることに対する、一種の批判的な応答なのです。
トリエンナーレをつくり上げるプロセスは、複数の視点を織り交ぜて進む交響曲の作曲に似ています。
わたしたちは一方で、東アジアの近代史において精神的に、また実践的に自己をつくりあげようとした人びとの事例を紹介します。これにより来場者に刺激を与え、現在の暮らしの中で自らも主体性を見出したいと感じるきっかけをつくります。
もう一方でわたしたちは、今の時代と対峙し、この世界に変化をもたらすためには個々人がその主体性を取り戻すことが急務である旨を明らかにします。このため、今日の文化的、政治的情勢について個人の視点から考察する数々の作品を紹介します。特に2010年以降、近代が陥った窮地から人びとを救う役割を果たした東アジアの活動家たちの理論や実践を取り上げます。
以上のさまざまな視点は、現在の暮らしの中で常に規制され、抑圧され、弱体化を余儀なくされる個々人の現状に目を向け、そこから自己を解放するために掲げられるものです。これらを通してわたしたちは、既存のシステムによって定められた生き方の先にある別の生き方を積極的に見つけ出そうと来場者に呼びかけます。すでにある境界線や制約、既定路線の外側にある世界を思考し、探求するよう、人びとを後押ししたいのです。

このように本トリエンナーレは、歴史的な事例と現代の実践の両方を紹介します。個人がどのように主体性と力を発揮し、イデオロギーの境界や国境を超えて友情を育んでいけるか。また、今を生きる人びとの暮らしを中心に据えて世界を構築することはいかにして可能なのか。わたしたちはこのトリエンナーレを、こうした問いについて来場者と共に考える機会にしたいと思っています。
個人の主体性を重視することは、集団(コレクティヴ)の意義を否定することではありません。それは、能動的な個々の主体が一種の群衆(マルチチュード)のように集まって力を発揮することにつながっているのです。

日々を生きるための手引集
(Directory of Life)

本手引集には2000年以降、アーティストや思想家、社会活動家たちがそれぞれの時代、歴史、生活について考えたテキストが収められています。「連帯する思想家たち(Fellow Thinkers)」である10組の著者は、生きるヒントとなるテキスト(Sources)を提供します。

  1. 柄谷行人(著)『NAM―原理』(2000 年)
  2. 汪暉(著)『世界史のなかの世界――文明の対話、政治の終焉、システムを越えた社会』(中国語初版2011 年/日本語版2016年)
  3. デヴィッド・グレーバー(著)「ブルシット・ジョブ現象について」(英語初版2013年/日本語版2019年]
  4. ジュディス・バトラー(著)『アセンブリ:行為遂行性・複数性・政治』(英語初版2015年/日本語版2018年)
  5. ビョーク&ティモシー・モートン(共著)「ビョークとティモシー・モートンの往復書簡」(英語初版2015年/日本語版2024年)
  6. 松本哉(著)『世界マヌケ反乱の手引書:ふざけた場所の作り方』(2016年)
  7. マッケンジー・ワーク(著)『資本は死んだ』(英語初版2019 年/日本語版2023年)
  8. 斎藤幸平(著)『人新世の「資本論」』(2020 年)
  9. 匿名(著)「寝そべり主義宣言」(中国語版2021年/日本語版2022年)
  10. インゴ・ニアマン&エリック・ニードリング(共著)「ヴァルダー・ダイエット 」(日英ともに2024年書き下ろし)

※初版年順

考える仲間たち
(Thinking Partners)

アーティスティック・ディレクターと共に特定のトピックを深く研究する専門家たちです。

江上賢一郎(東京藝術大学 特任助教)
萩原弘子(大阪府立大学 名誉教授)
町村悠香(町田市立国際版画美術館 学芸員)
王欽(東京大学大学院総合文化研究科准教)
山本浩貴(金沢美術工芸大学講師)

※姓のアルファベット順

章立て

「いま、ここで生きてる(Our Lives)」
「わたしの解放(My Liberation)」
「すべての河(All the Rivers)」
「流れと岩(Streams and Rocks)」
「鏡との対話(Dialogue with the Mirror)」
「密林の火(Fires in the Woods)」
「苦悶の象徴(Symbol of Depression)」

空間設計

nmstudio一級建築士事務所 + HIGURE17-15cas

ビジュアル・デザイン

REFLECTA, Inc.(岡﨑真理子+田岡美紗子+田中ヴェートリ美南海+邵琪)