ラクスが語る「国際展をキュレーションすること」

2019.11.08 Fri

ラクス・メディア・コレクティヴ(以下、ラクス)のジーベシュ・バグチとモニカ・ナルラが、コレクティヴ結成やアーティストとして制作してきた作品群の紹介、キュレーションを手がけることになった経緯や国際展での経験、そしてヨコハマトリエンナーレ2020に向けて考えていることについて語りました。

(なお、本テキストは、「横浜美術館×横浜トリエンナーレ組織委員会 共催企画 美術館と国際展を巡る連続講座」の第2回目「国際展をキュレーションすること」(2019年2月20日開催)をまとめたものです。)

 

 

―発想の源となる「ソース」とそれをつなぐ線あるいは「アイテナリー」

コレクティヴ結成にあたって、あえてマニフェストを書いたり、目標を設定したりしなかったという彼ら。その理由は、設定するとコレクティヴの存在理由が目標達成になり、達成した暁には解散をする事になるからだという。コレクティヴは「共に存在する」ことに意義があり、何をするかではなく、どのように取り組むのかが大切だという姿勢が彼らの活動を特徴づけていることがよくわかります。また、彼らはさまざまな「ソース(源泉、原典、発信元)」に発想の源を求め、それをつなげる線としての「アイテナリー(行程、経路)」を組み立てることによって思考を深めていることも明らかになりました。

 

 

―キュレーション活動につながっていった「Sarai」の活動

彼らのキュレーションの起点となったのは、「Sarai」という活動です。遡ること約20年、映画史の研究者と都市学の研究者に誘われて始めた学際的な研究プログラムでは、博士課程の学生から社会人までのべ数百人と協働して、2001年から毎年1冊ずつ、計9冊の『Sarai Reader』という出版物を編集し、さまざまな職種や専門性を持つ人々に論考を寄せてもらいました。ヒンディ語ほか複数言語で発信される出版物の編集を通じて、さまざまな背景の人々と多様な考えをつなげ、まとめていくという経験を培い、キュレーションに対する自信にもつながっていると言います。

当時、自らを「メディア・プラクティショナー」と称し、昼間は「Sarai」で働き、夜はアーティストとして活動する生活を送っていました。そして、2006年にシュトゥットガルトの小さなプロジェクトに誘われ、アーティストのほかさまざまな専門家に参加してもらう実験的なキュレーションを行い、以降、多くのキュレーションを手掛けるようになりました。

「Sarai」の活動に関連して2001年から2002年にかけてOPUS (Open Platform for Unlimited Signification) というオンラインプラットフォームも開発しました。そしてインターネットの黎明期だった時代に文化的な素材を発信、改変、再分配するという仕組みを作りました。当時、この試みはまだ新しく、ドクメンタ11で公開することができました。

 

 

 

―アーティストの移動と遍在する重心

ラクスは近年のアーティストがさまざまな拠点を往来する状況にも注目しています。ここ20年ほどの間の、アーティストの移動の軌跡を辿ってみると、従来北半球に集中していた美術の「中心」と「それ以外」の地域を往来するということではなく、複数の中心を往来している様子がわかっただけではなく、その交通量の密度が高まっていることをラクスは指摘します。同時多発的にアートが偏在する時代の到来とも言えるのでしょう。

たとえば、従来、南半球が生物の多様性を維持し、北半球がそれを研究するという関係にあると考えられてきたとするならば、文化を生み出す「ソース」はどこにあるのかということをラクスは問います。さらに、いわゆるソースは一か所にとどまるのではなく、いろいろなところに移動していくという分析も行っています。

 

 

―キュレーションとは?

キュレーションとは、層の厚いソースを前提に「プロポジショナル」なアプローチをとること、すなわち自らの意見を述べると同時に問いかけに対する応答を外部に求め、未来に何かしら影響を与えていく手続きだとラクスは考えています。バグチさんは、サッカー選手が頭のなかでは数千のプレーを検討しながら、具体的にボールを蹴ったり追ったりしてプレーするように、キュレ―ションはとても楽しい(joyful)ことだとも説明しました。

 

 

 

―国際展の経験

本講座では、ラクスがこれまでキュレ―ションした展覧会がいくつか紹介されました。「Sarai Reader 09」のように最初に何も展示しないまま開幕し、会期中にさまざまなアーティストや建築家が現場でプロジェクトを立ち上げ、キュレーターの署名性を見失うほど展開し、最後に「Art as a Place」というタイトルをつけたというようなものもあったと初期のプロジェクトも紹介されました。

また初めて手掛けた国際展としてマニフェスタの経験が語られました。イタリアのボルツァーノという町を担当し、廃墟となっていたアルミ工場の建物を「ソース」に近過去から現在を検証するようなコンセプトを打ち立てたとのことでした。つまり、現在あるものの中から何が残されていくのか?あるいは過去を復元する場合、どこで復元の手を止め、どこまで復元するのを良しとするのか。

上海ビエンナーレではSF小説や映画などをソースに展覧会を組み立てたそうですが、ここでは、どのように国際展の開催地と関係が持てるかということ、特にビエンナーレの来場者に限定されない、より広いパブリックと関わることができるかということを考えて企画した、「51 Personnae」というプロジェクトが紹介されました。このプロジェクトは上海の住人、さまざまな職業を持つ51名の人に光をあてるというものでしたが、バルセロナ現代美術館(macba)でキュレ―ションした展覧会(「In the Open or in Stealth」)でも同様に21名の在バルセロナの人々に関わってもらうプロジェクトを行いました。具体的にはコロンブス像の前でメキシコ人の歴史をひも解いてもらったり、バルセロナの労働組合長に会って港湾労働者について調べたり、このプロジェクトがまちなかのあらゆる存在、しかも、観光都市バルセロナの誰もが知る側面ではない場所や人に注目をしたとのことでした。

このように作品を展示するだけではなく「開催地に一つの新しい風穴を開ける」試みも国際展のキュレ―ションには必要だということを訴えました。

彼らにとって国際展は大きな知の生産(knowledge production)を試みる場。国際展に集まる人々の知識を集約し、発信することを目指し、上海でも展示空間のなかで対話や議論をするパフォーマンスを積極的に行ったとのことでした。

 

 

―ヨコハマトリエンナーレ2020の予告

講座の最後にヨコハマトリエンナーレ2020のソースの一部としてトム・ギル著『毎日あほうだんすー寿町の日雇い哲学者西川紀光の世界』、16世紀南インドの天文学および天界魔術の百科事典、そして約100年前に日本人と結婚したベンガル人の女性による日本滞在記の3冊の本が紹介されました。

美術館のキュレーションと国際展のキュレーションは異なるものと理解しつつ、横浜では美術館が会場のひとつとなるため、美術館も視野にいれたキュレーションにどのように進化させていくかを話し合っていると語りました。

開催地である横浜に対しての理解を深め、横浜にも新しい風穴を開けてくれるのではないかという期待と共に、第二回連続講座を終了することができました。

 

当日の映像はこちらをご覧ください。

 

 

(プロジェクト・マネージャー 帆足亜紀/広報担当 沼尾なつ紀)※写真撮影:田中雄一郎