YOKOHAMA 2005: International Triennale of Contemporary Art

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アートサーカス(日常からの跳躍)

今回の横浜トリエンナーレ2005のテーマは、「日常からの跳躍」です。

はたしてアートとはどのような人の、どのような発想からかたちづくられ、どのように我々の生活に浸透してくのだろうか? そのことによって何が変わりうるのだろうか?現代社会における「アートの機能」、「アートの力」ということを、改めて考えてみたいと思います。

例えば、現代美術の国際展としてのビエンナーレ、トリエンナーレは、現在世界各地で行なわれています。しかしそこでいつも感じることは、作品の設置場所が美術館であれ、町中であれ、いわゆる見る側とつくる側というヒエラルキーが、そこには厳然として存在していることです。こうしたヒエラルキーがある限り、見る側と展示作品の関係は、モノローグ的なものとならざるを得ません。なぜダイアローグ的な展示や鑑賞が行なえないのでしょうか。そのためには何が必要なのでしょうか。
国際展を企画するにあたって念頭に置かなければならないことは、見る側と見せる側の根本的な垣根を越え、またそこでの表現に遥かなるジャンプ(跳躍)を起こさない限り、現在進行形の新しいアートとの新鮮な出会いは生まれない、ということです。

以前ベルギー、ゲントの町で行なわれていた展覧会「Over the edges」に参加していたイタリアの作家アルベルト・ガルッティ(Alberto Garutti)が行なったプロジェクトが思い出されます。ゲントの病院から新生児誕生の知らせがあるごとに、病院近くの公園の中の街燈が、うっすらと一時的に光り輝くという作品でした。実際にその場にいてその光景を目にしたとき、これはひとつの「希望のアート」であると思いました。その記憶は、最近の自然災害が多発しているホープレスな世界状況の中で、我々が唯一希望を持てるかもしれないと思われる光景であり、ここにこそ、アートの世界が存在すると思いました。
世界各国のアーティストは、現在の自分が置かれている今日的な状況を考え、表現への新たなジャンプ(跳躍)を日々行なっています。こうしたジャンプにこそ、世界の希望が見えてくるような気がしてなりません。
我々の日常生活の中で、ともすると見失われている感性の広がりや価値観の大きな揺さぶり、現代アートが本来持っている機能、その醍醐味を今回の展覧会で是非紹介したいと思います。

展覧会場を、作品鑑賞の場である以上にコミュニケーションの新たな場として提示していきます。そのため今回のテーマに沿ってキーワードをあげたいと思います。

 

/ 展覧会は、運動態である / 場にかかわる / 人とかかわる /


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