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2019.04.19

【レポート掲載】藤原徹平氏・金氏徹平氏登壇 講座「美術館という建築物と展覧会の関係」

3回にわたる連続講座の最終回は、ヨコハマトリエンナーレ2017の空間設計にかかわった建築家の藤原徹平さんと、初の個展を横浜美術館で開催した美術家の金氏徹平さんをお迎えして、「建築」を通して考える美術館と国際展のあり方を探りました。

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―横浜美術館には顔がある

藤原さんは横浜生まれの横浜育ち。横浜美術館ができたころより横浜美術館によく来ていましたが、丹下健三さんのいかつい建物にあまり良い印象を持っていませんでした。2017年にトリエンナーレに関わることになり、その際に逢坂館長からこの建物には「顔があるからこそ顔を変えた時に驚きがある」と言われて、「正面があって顔がある」というのがこの美術館の特徴だということをなるほどな、と思ったそうです。 


藤原:建築家の大高正人さん(1923年-2010年)がかかわったみなとみらいの基本構想によれば、都市計画の軸がすべて埠頭と海につながっていくなかで、横浜美術館も海に向かう軸に位置づけられています。大高さんは当時、全部埋め立てられてしまった土地で、これからは工業ではなくて市民の生活が重要だと考え、行政側が「まっすぐで良いでしょう」というのに抵抗し、剛腕で「これから公園を作るのだから」と臨港パークの辺りを中心に海側にカーブのある地形を作りました。

美術館の建物の中心にある「グランドギャラリー」という大きな空間は、丹下さんが当初、都市広場として計画し、裏側まで抜けられるように考えた空間です。音楽祭をやったり、人々がコーヒーを飲んだりするような都市広場を丹下さんがイメージしていたとすると、どうやってトリエンナーレの場を使って丹下さんの思いを再現できるのか。横浜トリエンナーレ2017の空間設計をする際には、グランドギャラリーに床を貼って京都の川床のように人間的で使いやすい場所に転換することを考えました。そして、そこで自然と人が佇んでいたり、作品に集中したり、といろいろな状況を作り出すようにしました。

美術館は何でもやれるけれど何かきっかけを与えてくれるような更地だといい。そのためにもまちと展覧会場の「間」が魅力的であるということが重要です。あいにく近代という時代は縦割りとセクショナリズムで効率主義を優先したため、間の設計が足りていません。権力者の指示によってではなく、市民社会のなかで民主的に間の設計について議論するべきです。

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―美術館では作る、展示する、そして卓球もする!

金氏さんが横浜美術館で個展を開催したのは10年前の2009年、30歳のときでした。「好き勝手して自分の好きなものだけ作っていればいいと思っていたところから、そうではなくて、色々なことと関係しながら、パブリックなスペースでどう作品を展開していくのかということを考えさせられた」と当時を振り返りました

金氏:まだアトリエも持っていなかったので、美術館の中で新作を作ることになりました。最初は会議室のような場所で作っていたのですが、臭いが出てしまったので場所を移したり、最後は夜間に限定して作業するなど苦労はあったものの、美術館で毎日展示空間を見に行き、お客さんの様子や観客層など直に観察しながら作品づくりができたので、パブリックな活動への意識が芽生えました。

劇場も美術館同様、個人的な想像力やアクションがパブリックとつながっていくかような機能があるけれども、さらに色々な人と一緒につくる装置として面白い。そして、美術館も劇場も都市の中にあるぽかんとした人工的な空白を表出させる装置みたいに機能して、そこでは人工的なものと人的にはコントロールできないものがぶつかるような場所であると面白い。

個展の準備をしている当時、グランドギャラリーではいろいろと自由が利かなかったけれども横浜トリエンナーレのたびに徐々に使い方が広がっていて、自由度が広がってきていると聞き、国際展の時に大きい力で建物を変えてしまうみたいなことは興味深いなと思いました。個展でそこまで変えるっていうのは難しいかなと。

そのなかで唯一グランドギャラリーを卓球をするために使いましたが、あの場所で卓球をするっていうだけでかなりスリリングになりました。

藤原:丹下さんが言っていることに対するそういう遊戯的な解釈というか、都市広場で「卓球やったっていいでしょう」という解釈は最高に面白いですね。そういった解釈の想像性というのは重要で、美術館を使い倒すっていうのはそういうことだと思うんですけど、結局日本の場合使い倒す時に権限と予算の問題というのが出るのかなという気がしています。

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―ドネーション(=寄付)を活用してグランドギャラリーで仕掛ける

藤原:ヨコハマトリエンナーレ2017で空間設計をしたときは、木材を作っている企業に寄付をしてもらいました。ドネーションによってこの空間を使い倒していくっていうのはあるかなと。テート・モダンのタービンホールは、企業のドネーションで世界的なアーティストが展示するので世界中の人が見に行くんです。ついでにコレクション展も見に行くので、美術館のエンジンとして機能しています。横浜美術館がこの立地の良さを活かすうえでは、目玉になる展覧会をグランドギャラリーで仕掛けていけばいいんじゃないのかな。

毎年ドネーションする人と建築家なり美術家とで案を考えて、市民と公開ディスカッションして作っていく。企業にとってドネーションすることがステートメントになったり、株主に対するアピールになるという社会の回路を作るべきかなと思うんです。

それが話題性を持った瞬間に、みなとみらいに来ている観光客が皆ここになだれ込んでくるんじゃないかな。ちょっとスイッチ切り替えればすごいことが起きるんじゃないか。こんな良い立地にある美術館は無いと思うんですよ、世界的に。

グランドギャラリーの僕のイメージは、クレーンもあるので、採石場のメタファー、あるいは船のドックかな。多段状になっているからどこにどういうふうに作品を作ることもできるし、クレーンがあるから色んなものを移動できるので、自由に作っていい場所に変えるだけで、劇的に価値が変わるんだろうなと。

―教養の近代美術と出来事の現代美術

藤原:近代美術館というのは保存・収集がテーマになっていて、現代美術館というのはある意味そういう重荷を外して好きなことをやる。横浜の場合は近代美術館と現代美術館の役割の両方を担うという非常に難しいことをしている。

近代美術館の役割は保存・収集して、それを市民に「教養」として提供するってことだから、教育に力を入れなきゃいけない。現代美術というのは「出来事」だから、むしろ普段の社会とは違う時間軸を与えることが役割で、「こういう価値観に留まらなくてもいいんだ」という価値観の提供や価値を再定義することになる。価値の再定義をしていかないとまちの価値は面白くならないから、どこの行政も現代美術を取り入れたがっていると思うのですが、そうしたらその近代美術的な教育とか教養の体験というのを市民に提供する場が無くなってしまって、価値の再定義だけやっていて文化が成り立たないんですよね。

近代美術とか教育というのを行政単位としてやらないとだめなものです。近代美術がないと現代美術だってないということをちゃんと分からないといけない。近代美術館と現代美術を両輪でやろうという市の美術館は横浜だけだと思うので、このモデルはぜひ成功させて欲しいんですよね。

金氏:僕の半年間の滞在制作もそうかもしれないですけど、コレクションというある意味永久に残さないといけないものとしての時間軸がある一方で、何になるのかもまだ価値もはっきりしてないけど動いているものが隣にあるっていうのはやっぱり面白いなと思います。

展覧会をやってみてすごく思ったのは、ここはイサム・ノグチの作品がいちばん格好よく見える美術館だと思うんですけど、そこにどう解釈を加えていくか、価値をずらしていくかという対象としてはすごく面白い。今はトリエンナーレがそういうものとして機能しているのかなっていう気はします。

―別館を作る?!

藤原:そういう意味では僕は別館を作ればいいのにな、と思うんです。同じ館の中に近代美術と現代美術がある面白さもあるわけだけど。例えば展覧会とは別に、グランドギャラリーだけ現代美術の提示として常に展示があって、近代美術が同じ館内にあるとそのギャップが意外に面白いというのがあるかもしれないですね。

都市計画全体の中で美術館を位置づけるということをしないといけない。近代と現代だから倉庫があればいいというのではなく、先にまちをどうするか決めないでその箱だけ作っても誰もそこは使えないですよね。

どんなまちでどんな活動がそこにあるのかという議論なく、美術っていう機能から箱を作るのは大変危険です。今、横浜美術館に別館を作るするならば、ロサンゼルス現代美術館(MOCA)みたいにすぐ横に倉庫みたいなのがあるとすごい面白いんだと思いますけどね。あれはもともと本館を作っているときに使っていた倉庫で展覧会をやっていたのを残しているんです。

ただ、都市として価値の高い真ん中にそんなのが作れないだろうから、しばらく今の建物を使い倒すしかなくて、せめてグランドギャラリーは相当汚れてもいいとか、何かできるんじゃないかなと思うんですけど。

―横浜が最初にやる

近代美術的なものっていうのは教育の場なので、実は企業ってすぐコレクション買おうとするんですけど、そうじゃなくて「出来事」を作らないと人は劇的には伸びないんですよね。だからそこに対して現代美術のトリエンナーレをやっている横浜美術館が協力できる部分というのがあると思います。近代美術館で協力というとコレクションの相互貸し出しってことになるんですけど、そこではなくて一年間このグランドギャラリーをドネーションによって一緒に作っていく、共同運営していくことで美術のネットワークが強くなるっていうのをやってみてはどうかと思います。

それを日本最大の行政単位である横浜が「世界初」をやるべき都市だと思うんですね。横浜市がやれば皆真似するので、横浜市がやるしかない。横浜市の行政に関わる人は誇りを持って、新しいルールというのを作らないと恥ずかしい。

横浜は370万の人口に郊外部から港湾部まであって、産業も抱え込んで教育もやる。日本の縮図なので、横浜がやれれば国全体で取り組めるというふうに皆真似してくれるんですよね。局を超えた勉強会というのを横浜美術館とかが仕掛けて、文化については横浜美術館が何か考えるリソースの場にならないとだめなのかなと思います。

―美術館とは接点のない人が出会う場所、非コミュニティが存在するところ

金氏:いちばん予想できない、接点の無い人たちと出会う場所は美術館なのかなというのがありますね。全然僕のことも知らなくて、美術にもそんなに興味無いような人でも、来る可能性がある場所なので。それは本当に美術館だからこそだと思いますね。

藤原:美術館とか劇場って地域コミュニティに属していない。それはすごい大事なところだと思うんです。そもそも美術には非コミュニティ的なところがあります。時間を超えたものが展示されていたり、自分の地域と関係無いものが展示されていたりということがあって。

普段我々は地域社会に属してコミュニティの中で生きているんだけど、窮屈な時もあるし、そこから排除されている感覚を持った時に苦しいと思うんですよね。そういう時に美術とか演劇って社会にとって非常に重要な空白の場、救いの気づきというのを与えてくれる場所だと思うんです。現代社会におけるアゴラとかアジールというもののひとつとして美術館とか劇場を捉えていくべきです。多国籍な人たち、観光客もいて誰がいてもいい、そういう場所が横浜にどうやって作っていけるかなっていう時に、意外と可能性が高いと思うんですよね。

ショッピングモールに買い物に来た人も、美術を見に来た人も、皆がこの広場に一堂に会して時間を過ごしているというのは、美術は社会の役割にフィットしていると思うんです。

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みなとみらいと横浜美術館の関係に始まり、建物の中心にあるグランドギャラリーの活用に触れ、最後は美術館がお祭りとは異なる非日常的な場所=「非コミュニティ」を許容する場所であり、都市のなかの「空白の場所」として機能することが期待されることがよくわかりました。


(プロジェクト・マネージャー 帆足亜紀) 
写真撮影:田中雄一郎
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